ある日、Google検索で「趣味 ゲーム」と打ち込んだら、サジェスト(検索予測表示)に「気持ち悪い」と出てきたときのあまりのショックに、この記事を書くことを天に誓いました。
今回、ゲームという趣味が世間の評判があまり良くないのはなぜかを考察し現状の見解を示します。あわせて、ゲームが社会で果たしている重要な役割を紹介します。
みなさんがこの先趣味がゲームと言えるような見通しを持ち帰ってもらえたらと思います。
検索ワード「趣味 ゲーム 気持ち悪い」
結論を言ってしまうと、「趣味 ゲーム 気持ち悪い」と調べるのは、ゲーマー自身が趣味がゲームって気持ち悪いんじゃないのかと思って調べていることが多いため検索上位に上がってきたらしいことが分かりました。
それは飲食店のサジェストに「まずい」が上位に出てくる理由*と同じで、人は「◯◯だったら嫌だ」と心配になると「〇〇」を検索してしまう。そして、そのワードがサジェストに表示されるにつれ、それを見て心配になった人が検索する。サジェストの順位が上がる。というループが発生するからです。
*<参考記事:「◯◯ まずい」「◯◯ やめとけ」 検索でネガティブワードが出るのはなぜ? Google検索の専門家が解説 – 宅食グルメ>

みなさんも、サジェストにやけにネガティブワードが出るなと疑問に思ったことはありませんか?
実際に「趣味 ゲーム 気持ち悪い」と検索して出てきた上位のページを見てみると、気持ち悪いという評判についてのゲーマー向けの考察、アドバイス記事が主でした。つまり、自分の趣味が気持ち悪いのでは?と不安になったゲーマーが調べているということですね。
であれば、このサジェストはゲーマー批判ではないので一安心。ですが、ゲーマー自身が趣味がゲームであることに引け目を感じていることになります。
マイナスイメージの原因は?
趣味がゲームであることを否定されたとき、ゲームに問題のタネがあるように思ってしまいます。僕も本記事の案を練るときにはゲームの問題性を重点的に調べました。
しかし、冷静に考えてみたとき、ゲーム自体には問題がないように思います。
世間ではゲーム自体に問題があるようなバッシングを受けていますが、よく言われている学力、暴力への影響はないと言って差し支えありません*。
*<参考記事:ゲームが人に与える影響【論文等】~ChatGPTで調べてみた~>
それでは、僕が原因だと思う3つの点について、考えてみましょう。
コンテンツの内容(暴力、美少女)
ゲームと言えば、RPGでもアクションゲームでも戦いはつきものです。作品によっては、年齢制限がついた過激な表現が含まれるものがあります。
また、男性のゲーマー方が多いことから、美少女を売りにした作品もあります。
では、これらが原因でゲームに悪印象があるのかと言えば、そんなことはないと思います。
仮に社会通念上よろしくないものを含む作品は悪いとしたとき、小説、ドラマや映画でも、暴力、犯罪、不倫、性的描写などは珍しいとは言えません。アニメやマンガでは戦いが多い傾向がありますが、じゃあアニメやマンガは反社会的なものだから禁止しようとはなっていません。
大衆向けの美少女としてアイドルがありますが、アイドルを見たり、推したりすることが社会通念上よろしくないとは思いません。(ただし、愛を叫ぶのはおうちの中だけにすることを推奨しますが)
要はゲームは他のメディアと比べて社会通念上の問題が多いとは言えないということです。
では何が問題なのでしょうか?
ゲーマー=オタク?
まず、ゲーマーとはどういう人だと思いますか?
今や日本人の趣味1位*であるゲームですから、陽キャも陰キャも多種多様な人が遊んでいます。
*<参考記事:ゲーム人口の推移[1996~2021年]~総務省統計局・アスマーク参考~>
ただ、表向きの趣味がゲームである人とそうでない人がいます。
どういうことかと言えば、趣味を言わなきゃいけない場面において、ゲーム以外にTPOによって趣味を言い分けられる人とゲームしか言えない人がいるということです。
社会人になって趣味がゲームと言うと、この人はゲームしか趣味がない、陰キャ=オタクと判断されかねません。

この等号(=)は偏見ですが、そもそもこのテーマ自体偏見から来ていますから、偏見があることを前提とします。
続いて、オタクへの偏見として、陰キャやコミュニケーション能力の低い人、架空の美少女に没頭する人などテレビで面白おかしく取り上げられ、ときには犯罪者予備軍のように扱う報道もありました。
ゲーマーとオタクは同じではないものの、ゲームをするオタクは確かに多いと言えます。
ゲームやアニメなどを趣味にする要因として、一人で過ごすことが好きということがあるでしょう。また、社会的地位の高い趣味(スポーツ、芸術)への興味や才能が乏しいため地位の低い趣味をもつということもあるかもしれません。
一人で過ごすことが好き=コミュニケーション下手とは限りません。ただ、社交性が高い(陽キャ)人の方が学校でも社会でも高いカーストに位置しやすいと思います。
反対に陰キャは下位カーストにいることになります。すると、陰キャは格下だと見下されることや馬鹿にされることが起きやすいわけです。
これはあくまでゲーマー=オタク=陰キャ=劣った人という連想ゲームが成立したときです。
ここで肝心なのは、はじめに言った通りゲームは趣味の人口1位であり陽キャも陰キャも多種多様な人がいます。
これまでは趣味がゲームの大人は肩身が狭かったかもしれませんが、僕自身の職場でも年々ゲームの話題が出ることは珍しくなくなりました。
となれば、趣味がゲームと言っただけで変わり者に見られたり、オタクや陰キャといった偏った性格特徴に当てはめられることは少なくなるでしょう。
世代(時代)背景
趣味がゲームであることの悪印象の最大の原因は“ゲーム=子どもの遊び”というイメージだと僕は考えています。
ゲームを遊んだことのない大人の世代や、そんな大人達の趣味を”大人の趣味”として憧れて育った下の世代の方たちからすると、ゲームは”子どもの遊び”です。
それは他人事ではなく、ゲーム好きな自分たちからしても、小さな子どもが好むようなものを趣味と言う大人に対して、馬鹿にしたり見下したりする気持ちが湧くのではないでしょうか?
しかし、ゲーム人口の推移からみるに、大人の世代でゲームを遊ぶ人が増えていることから、趣味がゲームであることがだんだん受け入れられていくと思います。
今までは、大人はゲームをしない時代だったのが大人もゲームをする時代になり、そんな時代に生まれ育った世代は大人になってもゲームをしても変ではなく、普通のことだという価値観を持つでしょう。
ゲームに親しんだ人がゲーマーを馬鹿にするとは思えません。
現在は、タレントやアイドルがテレビや動画サイトでゲームをする姿が見られ、ゲームの特集番組が放送されています。かえって、ゲーマーを馬鹿にする方が世間の価値観とズレています。
なので、この先ゲーマーへの偏見はなくなっていくだろうと予想しますが、いかがでしょうか?
結論
「趣味がゲーム=気持ち悪い」の最たる理由であるジェネレーションギャップはなくなる。
ゲームは趣味人口1位であり多種多様な人が遊ぶことから、ゲーマーを劣った人に結びつける偏見が今後も成立し続けるとは思えない。
多くの人がゲームをする世の中でゲーマーを堂々と馬鹿にするのはリスクが高い。
以上の理由から、これからはだんだんと「趣味がゲーム」と言える時代になっていくと思います。
ゲームが社会で果たす役割
ここまでは、趣味がゲームであることに対する評判の悪さについて考えましたが、ちょっと話を変えてゲームが社会に貢献していることをお話します。
山田昌弘『希望格差社会、それから 幸福に衰退する国の20年(以下、希望格差社会)』に興味深いことが書いてありました。
日本は経済が停滞し人々の暮らしは貧しくなっている。あわせて経済格差が固定化され努力しても格差を覆せないために努力が報われない社会になっている。
にもかかわらずバーチャル産業が日本人の幸福感を上げている。ということです。
ゲームは様々な課題を乗り越えて、努力して技術を磨けば結果が得られるので、擬似的に努力が報われる体験(成功体験)が得られます。また、オンラインで仲間と遊ぶゲームであれば努力を褒めてもらえ、評価してもらうこともできます。
ここでゲームに対するネガティブな見解として、 フィリップ・ジンバルドー『男子劣化社会』があります。
本書では、最近の若い男性が、学力的、社会的、性的に劣化しているとして、その原因にゲームとポルノを挙げています。ゲームは社交術を身につける能力や興味を奪い、学力を下げ、ADHDにすると書かれています。
そして、ゲームにうつつを抜かしている暇があれば、現実にコミットして社交スキルを身に着け、何かを成し遂げるために時間を使うべきだと述べています。
アメリカでの男性の劣化(?)の原因が本当にゲームなのかは疑問ですが、現実にコミットせよという主張は正しいように感じます。それに、日本の社会人にゲームに対する意見を求めたら同じようなことを言うのではないでしょうか。
アメリカと日本の社会背景の違い、そしてゲームにおいても主流なジャンルやタイトルが異なるということは留意しておくべきですが、日本の状況を前提にしたときに、報われない努力をすることが果たして幸せなのでしょうか。
こういうと、何事においても努力した方が成功する確率が高くなって良いじゃないかと思いますよね。
諦めずに努力しろという根性論は自分自身学校で真に受けてきましたし、マンガやアニメでも精神力と努力により逆境に打ち勝つ物語に感動して育ってきました。

だからこそ、「諦めたらそこで試合終了ですよ」と言いたくなります。
ただ、僕なりの理解としては、人生が成功するかどうかを大きな視点で見たときに、個人の努力によってはほとんど変わらず(タイムリープもののフィクションで主人公が運命を変えようとしてもなかなか変わらないように)、社会のシステムや既に存在する格差によってほぼ決まってしまっているということです。
「男子劣化社会」の主張に反論するとすれば、男子が劣化(?)した原因はゲームやポルノではなく日本と同じく社会の状況や構造のせいではないか?ゲームをやめて、社交スキルを身に着け、何かを成し遂げるために時間を使ってもほとんどの人は報われず不幸になるだけではないか?と思うのです。
日本は衰退している。国民の生活は貧困化している。格差が固定化している。この事実を受け止め、人生の成功・失敗の理由を個人の努力に求めるのをやめるべきでしょう。
「成功したいなら苦しくても虚しくても努力しろ!!」
というのは親の経済力と教育に助けられて成功した男性達、強者の理論です。
だから、僕は人生はほどほどに頑張れば良い。ゲームをすることが人生の成功につながらなくても、擬似的な成功体験でも、今日明日を頑張る活力をくれるという時点で大いに人生に役立つ趣味ではないかと思います。
『希望格差社会 』のバーチャル産業はゲームだけではありませんが、今や国民の趣味1位として、多くの人を救っているでしょう。
さいごに
以前より、ゲームには人生に苦しむ人への安全地帯としての役割があると思っていました。
何らかの事情で引きこもりになった方がゲームをして過ごしている*というのをテレビで見かけます。
※こういった取材対象と報道の仕方の偏りには僕らはよくよく注意すべきで、僕の書いている記事にも偏りがあることにご注意ください。
社会的な逃げ場所の問題と、さきほどの日本の貧困化と幸福の話とは温度差があり、同一線上でとらえて良いのかは定かではありません。
その上で苦しみという共通点で括って言えば、苦しみの重い方から軽い方まで、ゲームという存在が救いになっているように思います。
思えば僕自身、特に社会に出たての頃は仕事で上手くいかず、ゲームが唯一無二の楽しみでありつつも、時間とチャンスを奪うものとして恨みさえしました。(それがブログを書く原動力になりました。)そして、書いて悩んで書いてきた結論としては、自分にとってゲームはマイナスではなくプラスであり、明日への活力になっていると強く思うに至りました。
そう思うと『希望格差社会 』の日本人の幸福度が上昇しているというデータは辻褄が合っています。(何度も言いますが、バーチャル産業はゲームだけではないことは忘れず)
ただし、希望格差社会の考察が事実なのか、事実として世間に広まるのか、ずっと認知されないのかは分かりません。
認知されるとしても趣味の世代間ギャップと同じく、趣味がゲームであることの評判がよくなるには時間がかかるでしょう。
それでも、ゲームが多くの人々に受け入れられつつあること。そして、日本の幸福度を上げる一翼を担っていることを知り、みなさんが「趣味がゲーム」であることに自信を持っていただければ幸いです。
当ブログでは今後もゲーム文化と世間での評判に注視していきたいと思います。
それではみなさん、良いゲームライフを
【参考書籍】
男子劣化社会
希望格差社会、それから―幸福に衰退する国の20年