ゲーマーパパが子供にゲームを買うか迷う2つの理由

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僕は幼い頃からゲームが大好きで、大人になった今でもゲームブログをやっているくらいです。

でも、子供には小学校入学の歳になってもゲームをさせていません。

過去の自分が聞いたら驚くでしょう。今の僕も驚いています。

なぜか。

自分自身「ブログでゲームを肯定しておきながら、本心では否定しているんじゃないか?」と疑いました。

しかし、今回記事としてまとめることで、子供にゲームを買うことに気が進まなかった理由がはっきりしました。

 

ゲーマーの意見であり、一般的な意見ではないかも知れませんが、ゲームを子供に買うかどうか迷っている方の参考になればと思います。

ゲームは良い?悪い?

巷ではゲームが子供にとって悪いとか良いとか悪いとかいろいろな噂が流れていますよね。

ゲームをすると暴力的になったり学力が下がるという神話をこのブログでは否定的に扱っています。回りくどい言い方でしょうか。

ブログ開設当初から、ゲームの悪影響に関する論文を調べてきましたが、僕個人の意見としては生活の中のささやかな行為が人の性質を変えてしまうことはないと思うし、それを研究で明らかにすることも難しいと結論しました。

つまり、本当にどうかはわからないけど、気にしなくて良いというスタンスです。

まぁ、今後もゲーム関連の研究について取り上げることはあるでしょう。趣味の活動のひとつですからね。

反対に、認知機能が向上する、集中力が高まるといった良い影響も同じ意味で僕は懐疑的です。

なので、僕は悪影響が心配で子供にゲームをさせたくないというわけではありません

悪影響はないけれど

さきほど、ゲームの悪影響を信じていないと書きましたが、恐れていることと言えばゲームの楽しさを知ってしまうと熱中してしまうだろうこと。

「それって悪影響じゃん。ゲーム中毒じゃん。」

そのとおr…いえいえ!

楽しくてハマってしまうことはゲームに特有の性質とは思いません。スポーツでも読書でも好きなことはずっとやっていたいし、暇さえあればやりたくてウズウズするものです。

ゲーム中毒という言葉について言えば、今書いたように単にハマっていることについてはゲーム中毒に当たらないでしょう。

中毒が無限ループするように設計されているゲームについては危険だと思いますが。

僕が子供にゲームを買っていないひとつの理由としては、言わば健全なハマり(最近は沼っていうのかな?)に対するためらいがあります

ありのままの好きを尊重したい

さんざん屁理屈をこねてますが、まぁ僕も親ですから、子供がゲームにハマって勉強が疎かになって成績が悪くなるんじゃないかと心配します。そりゃ。

ゲームばっかりやって、運動しなくなって(自分のように)ひ弱な子になるんじゃないかと心配します。もちろん。

ただ、ゲームをさせていない大きな理由は、子供自身が本当に好きなことをやって欲しい、見つけて欲しいと思うからです

僕はゲームが好きだったから、今まで趣味が散々悪く言われてきました。

子供時代やめたかった習い事をやめさせてもらえなかったことも、自分の意志と矛盾した活動に対する違和感として残っています。

そのせいか、僕は個人の好きなことを尊重すべきだと思うし、好きなことがある人、好きなことに打ち込んでいる人を魅力的だと思います。

こじらせてこんなブログをやってます。

 

僕の子は恐竜が好きです。工作や絵を描くのが好きです。

だから恐竜の本を見つけるとつい買ってあげちゃいます。子供が家中を作品だらけにしても(生活に害のない範囲なら)微笑ましく見ています。

それを僕がゲームをさせることで「子供の本来好きなことをすり替えてしまうのではないか?」、「本当に好きなことを見つける機会を奪ってしまうのではないか?」ということが怖いです。

子供には好きなことをやって欲しい。

親が子供のやりたいことに干渉しすぎず、ありのままの子供の”好き”を伸ばしてあげたい。

それを言い出したら、恐竜も工作も誰かが与えたものなので、難しいですね…

 

だからもし、子供が自分から「ゲームがしたい」と言うようになったら、そのときは「ふーん」と無関心を装い、仕事帰りに軽快な足取りで家電量販店へ行き、顔がほころぶのを必死に抑えた気色の悪い顔をしつつ

「我が子よ、この道は険しいぞ」

と心の中で呟きながらゲームを手渡すでしょう。

 

そして、僕が子どもにゲームを買っていないのにはもうひとつ理由があります。

我が子にも感動の体験を

FF5を見たときの感動が忘れられません。

船の墓場で遭難し、襲いくるモンスターと戦う主人公たち。飛空艇で空中要塞に乗り込み、巨大な砲台の化け物に剣と魔法で立ち向かう勇敢な姿。

当時5歳ぐらい、ファミコンのマリオやドラクエ3は家にありましたが、スーパーファミコンの世界は別格でした。

まるでアニメのような映像美。冒険を盛り上げる壮大な音楽。そして、コントローラーでキャラクターを操って戦う兄の姿。

なんだ!これは?!

こんな素晴らしいものがあるのかと、稲妻に撃たれたかのような感動をしたのを覚えています。

 

「じゃあ、早くその体験をさせてあげれば?」と思うかもしれません。

 

でも、稲妻級の感動を覚えたのは、それまでにいろいろな体験をしたからこそだと思います。

アニメや特撮を見て、絵本を読んで空想の世界に酔いしれた経験。

ブロックとガチャポンのおもちゃで空想の世界をぎこちなく再現して遊んだ経験。

それ以外にも、草むらや川での遊び、子供同士のごっこ遊び。

 

物心つく前からゲームを遊んでいて、ゲームが当たり前だったらどうでしょう?

きっと感動しないのではないでしょうか?

 

物語、映像、音楽、ごっこ遊びが取り揃えられたゲームという遊びは確かに素晴らしいですが、子供にも段階を踏ませたい。

空想し創造して遊ぶ、無いものを自分で補って遊ぶような夢見る体験をしたあとに、ゲームに触れて欲しいなと思います。

我が家にはRPGごっこと自分の中で呼んでいる遊びがあります。

子供と一緒に「どっちへ行く?」「どこへ行く?」と話しながら子供の気の向くままに街を冒険します。ジャリジャリの河川敷へ。橋を渡った向こう側へ。片道1時間の離れた町へ。

普段は目的ありきで目的の場所しか行きませんが、身近な場所でも「こんな場所があったんだ」という発見があって、RPGのワールドマップでダンジョンや隠しエリアを見つけたような気分になります。

 

それらの原体験が、我が子のゲームデビューの感動を増してくれると信じています


【おわり】

最近、子供が同級生や自分自身(筆者)の影響で少しゲームに興味を持ち始め、いよいよそのときが近づいてきたのを感じています。

その前に心を整理しておきたいという気持ちからこの記事を書きました。

ゲーマーだからゲームをほいほい買ってあげるかと思いきや、ゲーマーだからこそ買ってあげるべきか悩むものだなと父親になってから分かりました。

 

【おまけ】

子供にゲームをまったくさせていないかと言えばそうではないことを釈明しておきます。

本格的なゲームデビューはまだですが、すでに『ストリートファイター6』のバスケットボールのゲームは子供に遊ばせてあげました。

「我が子よ!コントローラーはこう持つんだ!深呼して~!上手上手!」