「ゼノサーガ」シリーズレビュー[物語の難解さが生み出す遊びの楽しさについての考察]

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ゼノサーガは、コントローラーを動かすことだけがゲームを遊ぶことではないと教えてくれた。

 

ゼノサーガシリーズは宇宙を舞台にしたSFドラマRPGであり、三部作からなる長篇作品である。2002年にエピソード(EP)I、2004年にEPⅡ、2006年にEPⅢが発売された。

本稿は、ゼノサーガを遊ぶ中で、僕が見出した一つの魅力について語る。劇中の謎について解き明かすものではないことや、制作陣の変更などの個別の事情については、深入りしないことをお断りしておく。

大学生の頃、シリーズで初めて手にとった作品が、ニンテンドーDS版ゼノサーガⅠ・Ⅱ(以下、DS版I・Ⅱ)であった。当時プレイしたときに感じた心の引っかかりが、10年以上の時を経てもなお焼き付いて離れず、ゼノサーガⅢをプレイするためにPS4全盛期にまさかのPS2を購入せしめたのである。

その心の引っかかりこそが、ゼノサーガの魅力である”世界観”と”情報の提示方法”の片鱗であったことを説明したい。

ところが、ゼノサーガの魅力を説明しようとすると、難解で深くて面白いと言いそうになる。

なぜなら、プレイヤーはゲームに仕組まれた難解さに、コントローラーを止めたり、ムービーを見返したり、考えるのをやめたりしながら、壮大な物語を体験するからだ。

そこで今回、難しいというイメージを抱かせる要素が、ゲームプレイに重要な意味を持つということを解明していきたい。

 

難解と言うとあまり良い印象を受けないのではないか。

受け手が苦労して理解した先に価値のあるものが得られるかが重要であって、“難しくしてやったぜ”という作り手の自己満足は受け手にとって苦行でしかない。

難解さの代表的な三つの理由が、独特の用語が説明なしに使われること、多くの謎を布石しプレイヤーに明かさないようにしていること、そして、作品の世界観である。

実際、ゼノサーガでは、プレイヤーが劇中の会話を聞きながら、「いったい何を言っているのか分からない」という経験を幾度となく経験する。

それが、作者の自己満足や不親切さからくるものではなく、設計されたものであることをお伝えしたい。

 

難解さの一点目は、用語の意味が劇中で登場したあとに明かされるという仕様だ。

そこで重要となるのがデータベースシステムである。作中に登場した用語はデータベースにまとめられ、メニュー画面から用語の意味を調べることができる。例えば、EPⅠでは、245個もの用語が収録されている。

データベースが用意された理由は、もちろんプレイヤーの理解を手助けすることだが、それだけではなく、調べることへの積極的な促しである。

前述の通り、本シリーズは、プレイヤーが理解できていない状態を前提に作られている。

初見プレイヤーは、キャラクターが謎の単語を発しているのを聞き、言語中枢がしばしば麻痺を起こし「ほっ!?ほほほ?」と言葉を失うわけだが、その後、データベースを読み「なるほど、そういう意味だったのか!」とアハ体験をするのである。

なぜ説明しないのかと思われるだろうが、本シリーズのメインキャラクターは、全員知識層の人間であり、RPGでありがちな、おのぼりさんの主人公が文明社会に触れ、学者っぽいキャラに解説されるという状況が起こりにくい。第一、キャラクターが知っていて然るべき用語を説明されるのは興ざめだろう。

 

さらには、これは難解さの二点目、謎を布石しプレイヤーに明かさないことに繋がる。

物語に設置された謎は作品の神秘性を高める。

物語は、ゾハルという謎の物体、グノーシスという正体不明の敵といった謎が中心に据えられている。そして、世界の裏で暗躍する謎の一派や、言葉少なに主人公を振り回す道先案内人が登場し、どいつもこいつもチラリチラリと何かを仄めかしては「今日はここまでよ」とおあずけを食らわせてくるため、プレイヤーは常に生殺しだ。そうなると、持ちうる情報からその意味を推測しようと血がたぎる。

それが原動力となり、イベントが終わったあと、どういう意味だったんだろうと、ワクワクしながらデータベースを読み、その後の展開に妄想をふくらませる。

 

上記の二点は、プレイヤーへの物語の提示の仕方として、意図的に隠されている点だが、三点目はゼノサーガの世界観だ。それこそが、物語の奥深さの源泉である。

ゼノサーガの世界は何が変わっているのか。

ゼノサーガは、ゲームと言えば子供の遊びという先入観の打破を狙ったのではないだろうか。

DS版Ⅰ・Ⅱを遊んでいた、少なくとも世間知らずの学生にとっては、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーなど今まで親しんできたRPGと比べ、プレイヤーに要求する知識や理解力の水準がずいぶん高いと感じた。

そして、社会人になり、いくらかの知識を身に着けたことでやっと理解できるようになったことも多く、大人向けのRPGと言っても問題ないくらいだ。

具体例を3つ挙げたい。

現実の文化の流用、ハイレベルなテキスト、そして、作品のテーマである。

 

第一に現実の文化の流用だ。

宇宙を舞台にしたSFという設定上、なんでもござれのデタラメな世界を描くことも可能であるが、ゼノサーガの世界の背景にはリアリティがある。

リアリティがあるというのは、SFだけど、タイムトラベルとか科学的に起こり得ないから実現可能なものだけを描いているとかそういう話ではない。むしろ、その点について、ゼノサーガはワープができる、科学技術を使って魔法のような技(エーテル)が使えるなどなんでもありだ。

そうではなく、文化や制度についての設定が現実のありかたを流用しており、リアルなのである。

例えば政治においては、国連を思わせる星団連邦、行政府の執行者は議員であり、国連憲章を思わせるミルチア憲章、原種保護法など、いかにもありそうな協約や制度がある。

この世界が地球を離れた未来の人類の物語であり、現実の世界から地続きであることをプレイヤーは肌身に感じる。

それだけだと、ネーミングの技巧だが、ひとつひとつの文化制度に加えた設定がまたリアルであり、もしもそういう文化があればそういう問題が起こるだろうと思わせる、問題提起がされているところが見事である。

僕が最も好きな一例である原種保護法制定の流れを挙げたい。

死者の体をリサイクルしサイボーグとして再利用する法律が始まる
⇨人体に手を加えることへの倫理的抵抗が薄れる
⇨人体操作、遺伝子操作が一般化する
⇨改造人間の失敗作ができる、種の多様性が失われ種の生存能力が危うくなるという問題が発生する
⇨禁止する法律ができる(原種保護法)

この一連の流れが科学の発展と然るべき倫理問題を提示していることに加え、遺伝子の多様性についての生物学的な見識をのぞかせること、さらに原種保護法が制定されるまでに長い年月を要したところにまで社会の変化の愚鈍さを表現していること、極めつけは、原種保護法が1948年から1996年まで日本に存在した優生保護法の風刺であることを想像すると胸が熱い。

 

第二に、本シリーズで用いられるテキストのとっつきにくさだ。

その主な要因は、一つには、教養人レベルの難しい言葉や専門用語が使われていることがある。

僕の体感では、ゼノサーガの文章は、やや難しいと感じる。と言っても、行きずりの会話や仲間との歓談が難しいのではなく、イベント中の会話やデータベースの文章において、ときおり「うっ」とくる文学的表現や「これは学術書かな?」と思う堅い表現が見られるのが特徴だ。

用語は科学、心理学、宗教など多岐の分野にわたり、脳領域、輻輳、テロメラーゼなど専門的な用語も飛び出してくる。ただし、用語のほとんどは、データベースにて補足されるので、心配いらない。

これらは過剰に言葉を難しくしているというより、識者同士の会話や専門家が専門の場面で使っている点においては自然であったり、謎を明かさないために婉曲な言い回しをしていたりと、雰囲気を上手く演出する技だ。

次に目立つのは横文字の多さだ。プレイヤーはまず、システム用語に目をパチクリさせることになる。

ご挨拶は、戦闘コマンドに並ぶ、ETHER(エーテル)、A.G.W.S.(エイグス)の文字、「腰抜けた」。ステータスは、STR(ストレングス;攻撃力)、VIT(バイタリティ;防御力)、「ま、まだ分かる」、DEX(デクスタリティ;命中率)、EVA(エヴァンション;回避率)、「怖い」。

EQUIP(装備画面)で装備を整えるたびに、「何のステータスが上がっているのかよく分からないけど、まあいいや」と思っているうちにクリアしてしまったという僕のような方も多いに違いにない。

 

最後に作品のテーマだ。

ゼノサーガの生みの親である高橋監督が作品に込めたメッセージは何だろうか。

本シリーズの登場人物たちは心の問題を抱えている。

オフィシャル公式設定資料集のインタビューでは、高橋監督は生と死への向き合い方を各キャラクターに込めたと話している。

人々が持つ多様な背景が、本作の魅力のひとつだ。

とりわけ目立つのが、アンドロイド、人造人間、遺伝子操作人間、サイボーグなど、およそSFの花形を押さえた豪華ラインナップである。それらの人々は生まれながらにして、他人にアイデンティティを規定され押し付けられているという不幸を背負っている。

表面的には、非人間が社会の中でどのように扱われるかというところに目が行くが、ゼノサーガはより人間的な問題に焦点を当てる。内実は、大切な人との関係性の不調や自分を取り巻く世界における不和とどのように向かい合うかといった問題が扱われる。

「大切な人との別れ」、「他者との心の行き違い」、「理想と現実の乖離」、「自分は世の中からはじかれ者になっているという意識」、「自分の境遇のどうしようもなさ」、「世界への怒り」

そういった、うちに秘めた心の傷とどう向き合うかがテーマだ。

あわせて、メッセージといえば気になるのは、ゼノサーガシリーズの副題だろう。

副題は、ドイツの哲学者ニーチェの書のタイトルから引用されている。

EPⅠ「力への意志」、EPⅡ「善悪の彼岸」、EPⅢ「ツァラトゥストラはかく語りき」

なぜ、ニーチェの書から題名を借りたのか。

ニーチェの真髄を、無知な僕が一言で表現すると、”本質の力”である。

孤高の賢者ニーチェが、キリスト教文化による精神の堕落を嘆き、まやかしではない本当の力を説いた。

きっと、高橋監督は、本質的な意志の強さとは何かをプレイヤーに示したかったのではないだろうか。

そして、弱い自分たちが人間関係や自身の無力さに絶望し、打ちひしがれているときに、どのように立ち上がれば良いのかをニーチェという要素を使って伝えたかったのだと思う。

この登場人物たちの苦しみがプレイヤーの心を吸い付け、背景をやすやすと明かさないというゼノサーガ流のじらしと相まって、キャラクターたちの事情をどうにか察したい、予想したいというプレイヤーの背中を押す。

ここまでの話をまとめると、ゼノサーガは大人も楽しめる奥行きの深い世界観を用意し、そこに謎を設置した。さらに、謎を解き明かす手がかりとして、用語集(データベース)を用意することで、知的好奇心を引き出されたプレイヤーが、世界を理解しようと能動的に調べだす仕組みができている。

これがゼノサーガシリーズの面白さの地盤の部分である。

 

さて、ここからが本題である。プレイヤーの知的好奇心が暴走した場合にどうなるかということを説明したい。

劇中の用語をネットで調べると、現実に語源を持つことに気づき始める。

フィクション作品の用語は得てしてオリジナルの場合が多いが、ゼノサーガにおいては、ほとんどの用語が現実の言葉を借用している。

あえて現実の言葉を用いたのは、偉人達が夢想した世界観が魅力的だったため、言葉の持つ歴史や文化などの背景の質量をそのまま活かすことで、ゼノサーガの舞台でその世界を表現したかったのではないだろうか。

例えばEPⅠでは、データベースにて、比較的多くの用語について劇中での意味に加えて元となった言葉が紹介されている。

代表的な用語で言えば、ゾハル、U.M.N.、エーテルなどがそうだ。

これらの手掛かりを得ることで、火がついたように、用語を調べたくなってくる。

なぜなら、前述の通り、プレイヤーは脳内麻痺ショック療法とひしめく謎による生殺し調教を受けているからだ。

EPⅢやDS版Ⅰ・Ⅱでは出典の明示はあまりないが、本シリーズの謎の存在であるゾハルやグノーシスなどの言葉も現実に存在しているため、このネット社会で、プレイヤーが何かの拍子で気づくことは十分にあり得る。

ここがミソなのだが、ゼノサーガの世界上での意味は、現実の語源とちゃんと関連がある。

さらに、ゲーム上で伏せられた意味が何であるかを推測するには、その分野の本を多少齧った程度の知識が必要であるため、Wikipediaを読んだくらいでは分からないという部分も絶妙である。

糸口をつかんだプレイヤーは「あれっ、もしかして、ゾハルってこういう存在なんじゃ?」と想像を膨らませる。

この大発見をしてしまったプレイヤーは、隠しアイテムを手に入れたような喜びに小躍りする。そして、「じゃあ、グノーシスは?あれは?これは?」と他の用語も次々に調べたくなる。

さて、今度は、ゲームの外から知識を仕入れたプレイヤーがどうなるのかというと、劇中でキャラクターたちが発する謎めいた発言や新たに登場する用語の、本来分からないはずの意味が読み取れてしまうことがある。

「調べた知識が役に立ち、理解できたときの嬉しさときたら!」

まるで、自分だけが見つけた隠し技を使って、物語のヴェールを透かし見てしまえるような、この興奮を知ってしまうと、もう止まらない。

ネット上の曖昧な知識では物足りなくなってくると、ニーチェや旧約聖書・新約聖書、ユング心理学などの本に手が伸びる。

驚くべきは、本を読んでこそ意味が分かる、セリフがあることである。

例えば、副題のニーチェの書名は本編と関係ないというネットの声を長らく信じていたが、「このセリフがそうです」とはゲーム内では教えてくれないための誤解であり、ニーチェの書を読んでいれば気づくことができる。

これらが、ゼノサーガの楽しさの真骨頂
「調べる⇨劇中の話がわかる⇨また調べたくなる」という知のループを生み出す。

とは言え、調べたり、本を読んだりするのって、かなり特殊な遊び方なんじゃないかと首をかしげる方もいらっしゃることだろう。

しかし、ゼノサーガには、ゲームのプレイを超えて、物語をひもといて欲しいという意図が感じられる。

それは、EPⅠ序盤に登場する「プレロマ」という用語の説明に現れている。

“ユング心理学、及びグノーシス主義に同様の言葉、概念がある。(中略)それらをひもとくのもまた一興。ゼノサーガの先々の展開、また内在する種々のテーマが見えてくるかも知れない。”

これが高橋監督のメッセージである。

実はこのメッセージに気づいたのは、レビューを書く段になってからなのだが(笑)

見事に、作者の思惑通り遊んでしまっていたのだ。

ゼノサーガの謎は明かされないまま、プレイヤーに解釈を投げている部分も多い。だからこそ、プレイヤー自身が足りない知識を補うことで、あの場面は何を意味していたのか、作者は何を伝えたかったのかを察することができる。

僕はゼノサーガを理解しようと本を読んでいるとき、お目当ての用語を見つけ、ふと幼い頃ドラクエ3でダンジョンを探索していて宝箱を見つけたときの映像が脳裏に蘇った。

RPGもおぼつかない頃、十字キーでただキャラクターを歩かせることにすら心踊っていたあの頃の、久しく失っていた感覚。

大人になり、ダンジョンが本に、宝箱が知識に変わり、ゼノサーガを巡る知識の冒険をしていることに気がついた。

実際、コントローラーを握って遊んだ時間より、本を読み、推理し、考察し遊んだ時間の方がはるかに長く、期間だけで言えば3年も遊んでいた。

私達は、ゲームの映像をただ眺め、ただセリフを聞き、世界を一方的に与えられ満足することが少なくないかもしれない。しかし、プレイヤーが進んで物語の世界を知ろうとすることで、プレイヤーの心に描き出される世界はより広大になり、物語は深みを増す。

この体験を通して、物語の世界に思いを馳せ、想像を巡らせることでもゲームを遊ぶことができることを知った。ときには、ゲームを早く進めたいとはやる気持ちを抑え、ゆっくりと物語をひもときながら遊んでみてはいかがだろうか。ゼノサーガでは、そのような冒険が楽しめる。

追伸

ネットで用語検索するときは、ネタバレ回避のために、マイナス検索(-ゼノサーガ)を推奨します。


【作品一覧】

✜ ゼノサーガ エピソードI[力への意志]

✜ ゼノサーガ エピソードII[善悪の彼岸]

✜ ゼノサーガ エピソードII[善悪の彼岸]

✜ ゼノサーガ I・II

✜ ゼノサーガ フリークス


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