豊かに自由にゲームするには-「100分de名著 スピノザ『エチカ』」を読んで

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100分de名著 スピノザ『エチカ』からの学びをゲームライフに活かします。

本書について

スピノザ『エチカ』を國分功一郎氏が解説したテキストです。

本書では、「善悪」、「本質」、「自由」、「真理」について語られますが、この中で特に「本質」、「自由」に関する解釈が魅力的だと感じたので、ゲームライフにどう活かすかを考えながらまとめていきます。

「本質」~豊かにゲームをする~

私見ですが、「ゲームだけやっているだけじゃゲームを楽しめない」と考えていました。例えば、ゲームのシナリオが中世の西洋からアイディアを得たものなら、西洋の歴史を知っていれば、「ああ、これは本当にその時代にあったものだな」とか「これは完全に創作だな」とか気づいて「うんうん」と頷きながらプラスアルファの楽しみを味わうことができます。

アサシンクリードの再現度は凄いらしいです!(知人談)

それに合致する内容が本書の「本質」の項でとりあげられていました。

人生を豊かにするためにはという項の中で「刺激」という言葉を使って表現されています。その解説の中でスピノザが述べたという印象的な一文を拝借します。

人間身体を多くの仕方で刺激されるような状態にさせるもの、あるいは人間身体をして外部の物体を多くの仕方で刺激するのに適するようにさせるものは、人間にとって有益である。
<引用元>國分功一郎.「NHK 100分 de 名著 スピノザ『エチカ』」

この「刺激」を受ける条件が”そのことについて知っている”ということです。

本書の解説にありますが、知っていないと楽しめません。

例えば、僕はゲームが好きなので、ゲームについての話ならワクワクします。➡刺激される
でも、スポーツは疎いので、あまり興味が沸きません。➡刺激されない

ゲームの中でも、冒頭にあげた例に加えて、神話に詳しければ、キャラクター名前から特定の神の名前が由来になっていることやそれが正しいかどうかが分かる。英語の知識があれば、作中の英語が読める。音楽に詳しければ、曲のジャンルや楽器を分析しながら聞ける。といった様々な刺激を受け取ることができます。

本書では刺激を受けることで自分の活動能力を増大させる、スピノザの言葉で言えば「本質」を高めることができるとしています。

「本質」は人それぞれ、その人自身が持っている力を表しています。

著者は刺激を受けるものの多さを「刺激の幅」と表現しています。いろいろな情報を受け取るためにアンテナを広げるというニュアンスに近いでしょうか。その表現が好きなので使わせていただくと

「刺激の幅」を広げる方法は、いろいろなことを知り、学ぶことです。

「刺激の幅」を広げることで、多くのものが自分を触発し、自分本来の力*を発揮させてくれます。そして、人生を豊かにしてくれます。

*潜在能力というより自分の存在を維持する力、自分らしさという風に理解しています。自分らしさとは、自分のこれは好き、これは嫌いという感性や自分はこれに向いている、向いていないなどの特性のことでしょう。そしてそれはやってみないと(知っていないと)分かりません。その意味で「刺激の幅」を広げるというのは、未知の自分を発見し、自分の可能性を引き出すということだと思います。

これはゲームにも言えることだと思います。自分の世界観を広げることでゲームの多くの魅力に気づき、体験しているゲームの世界も変わるのではないでしょうか。

僕は読書をするので本を読むことで「刺激の幅」を広げたいと思います。

最近では、ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス」でFFでおなじみ“エーテル”の由来を知りました!

「自由」~自由にゲームをする~

初めに「自由」について、スピノザの考える「自由」は私たちの考える自由とは異なっています。

私たちが普段言っている自由は、“何からも制約されない”という意味で使われているのではないかと思います。

スピノザは“何からも影響も命令も受けないことはありえない”という前提で、自分の行為の原因が自分自身によるものが大きいか、他人の影響によるものが大きいかで「自由」かそうでないかを説明しています。

話はそれで終わりではなく、自分の「意志*」という考えも誤りだと言っています。

*あることを行いたい、または行いたくないという考え。<デジタル大辞泉>

なぜかと言えば、「自由」の説明であったように”何からも影響も命令も受けないことはありえない”、だから自分の「意志」で行動していると思うのは自分の行為の原因を知らないだけの勘違いであるということです。

現実に、この認識の違いはありふれているのではないでしょうか。

僕の友人が”本能に従った軽率な行動やそれを誘発するもの”を「欲」という言葉を使って表現していてなかなかうまいこと言うなと思っています。例.ハンバーガーは欲の塊。

ちょっと使わせてもらうと、資本主義の商売は基本的に人の「欲」をとらえるトラップを仕掛けて罠にかかった人に自分の意志で選んで買ったと思い込ませて儲けています。(皮肉な言い方でごめんなさい)

例えばクリスマス商戦なんか明らかに宣伝で「欲」をあおって買わせにきてますよね。

スマブラSPECIAL欲しい!

物を買うときに選んで買うのは自分ですが、会社がこれを買わせたいという思惑に大きく影響された行為だととれば、自分の意志で買ったというのは勘違いで、自由でもありません。

もちろん商売をしている人は多くの人に便利なものを買ってもらいたい、困っている人のためになるサービスを提供したいという動機があると思います。ですので、あくまで商売の一つの側面に対する批判です。

また、学校、仕事についても言えると思います。

僕自身、自由と思っていただけで、自由じゃなかったことに気づきました。

学校に行っていたのは親や社会の影響、進学先はこの成績ならここが妥当と言われた担任の先生の影響、仕事は親の影響、就職先は学校を決めた時点でほぼ選択肢はありませんでした。

長くなりましたが、ここでゲームライフに活かすために今一度自由にゲームをしているのかまた不自由でゲームができないのか考えてみたら良いのではないかと思います。

ゲームをする目的は、宣伝されているから?やらないと友達の輪に加われないから?それ以外の選択肢が他人によって奪われているから?例えば、社会のプレッシャーから部屋にこもってゲームをしているのは他者の影響による行動と言えます。補足

ゲームをしないのは、ゲームをすると他人に見下されるから?家族に禁じられているから?会社に人生を捧げたから?

僕がゲームのブログを始めたのは自己分析して導き出した答えなので、なかなか「自由」にできているんじゃないかと思っています。

(補足)
このような場合、現代社会では自分の意志で部屋にこもっているんだから「自己責任」と断罪する傾向があり、著者は自己責任論を問題視しています。スピノザの理論では、社会がそのような状況に追いやっているので社会の責任と考えられるはずです。

さいごに

本書を読んでいない方に分かるように、スピノザの哲学用語を全く使わずに書きました。また、スピノザの「エチカ」を著者が分かりやすくまとめたものをさらに端折って書いたので、スピノザの哲学はもちろん著者の意図も正しく表現できていないかもしれません。

NHK「100分 de 名著」をよく見ているのですが、哲学書の中でこれほど衝撃を感じた書籍は初めてでした。

「善悪」や「自由」の解釈は現代社会に活かせるのではないかと感じました。自由に苦しめられている人は是非読んでみることをおすすめします。


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