元号が令和に変わり、Gzブレインムックより『ゲームと平成』という雑誌が発売された。ゲーム年表を懐かしんで読みながら、平成元年生まれの僕にとって平成とゲームはまさに自分の人生だったと感じた。
平成とゲームというテーマだとどうしても、生まれてから初めてこのゲームをやって、次このゲームをやってと言いたくなったが、正直、幼い頃はあらゆるゲームが難しすぎて全然クリアできなかったし、小学生低学年でのゲーム攻略はゲーム好きの兄による多大なるサポートの賜物だったことは否定できない。
多大すぎて勝手に自分のデータを進められて喧嘩なったこともありました
「自分自身でゲームを攻略できるようになったのはいつからだったか」と考えたとき、それはおそらく、小学生中~高学年(2000年頃)になってからだ。
その頃特に印象に残っているゲームを紹介しながら自分自身のゲーム人生の始まりを振り返りたい。
ファイアーエムブレム 紋章の謎
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1994年に発売された、スーパーファミコン用ソフト。「死んだ仲間は生き還らない」というシビアな設定が売りの戦略シミュレーションRPGソフトである。
この作品がなぜか同級生のゲーム好き男子の間で大流行した。
時代背景(2000年頃)
この時代は、2000年にプレイステーション2が発売されたが、プレイステーション(PS)、NINTENDO64(64)、スーパーファミコン、ファミコン、ゲームボーイまで新旧様々なハードが同時に遊ばれていた時期だと思う。
PS用のソフトとしては、当時すでに「FF」、「ドラクエ」、「テイルズ」、「アークザラッド」、「スターオーシャン」などの指折りの名シリーズのソフトが発売されていたが、同級生の間ではあまり流行っていなかった。単純に物語の設定が小学生より上の年齢向けだったり、難易度が高かったりという理由もあるが、一番の要因は、ゲームが高価だったことだろう。当時、PSは約4万円、64は約2万5千円と高価でハード&ソフトを買ってもらうというのは、クリスマスプレゼントぐらいしかチャンスがなく、小学生で新型ハードをもっている人は少なかった。僕もクリスマスプレゼントは毎年ゲームをおねだりしていた思い出があるが、ソフトはまだしもハードとなるとそうそう買ってもらえなかった記憶がある。
そして、任天堂の最新ハードである64を持っている友達の家に皆で集まり「マリオカート」で遊ぶというのは定番だった。その一方で旧式ハードであるファミコン用ソフト「くにおくんのダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会」で友達と画面の中でも外でも喧嘩しながら盛り上がったりもしていた。
そんな中、皆持っていたのがスーパーファミコンだ。ゲーム人気に火をつけた「ドラゴンクエスト(ドラクエ)」や「ファイナルファンタジー(FF)」シリーズの中でも名作として語られることが多いドラクエ5、FF5、6がスーパーファミコンで発売されていたため、他のハードはなくてもスーパーファミコンなら持っているという家は多かったのではないだろうか。
また、僕は次男だったので、兄が最新のゲームで遊び、僕が遊ぶのは大抵そのおさがりだった。
小学生が遊べてクリアできるゲームとしてスーパーファミコンのソフトが流行したのは当然だったと思う。が…「ファイアーエムブレム(FE)」という当時そこまで知名度が高くないシリーズのソフトがなんで流行ったのかは未だに謎である。
おそらく地域的にファイアーエムブレムが流行っていて、ゲーマーの家族を持つ同級生が多かったのでしょう。
本作について
本作は、仲間が復活しない、武器の耐久使用回数を超えると破損するなど要素にリアリティがあり難しいのだけれど、だからこそゲーマーの心を燃えさせる。
また、仲間になるキャラクターが多く、個性豊かなセリフが用意されていることや、敵の中に説得すると仲間になるキャラクターもいるという熱い展開もあるため、友達とどのキャラクターが好きか強いかといった話でよく盛り上がった。
キャラクターに愛着を持って遊んでいた人は多いのではないだろうか。
友達同士で「お前はどのキャラクター」など言って盛り上がったが、未だに友達と集まると覚えているから面白い。
誰がジェイガンや!!バヌトゥや!!違うわっ!!
ちなみに本作の主人公マルスは「スマブラ」で登場し、イケメンの強キャラとして人気だが、「紋章の謎」では主人公なのに攻撃力が高いわけでもなく、打たれ強いわけでもなく弱キャラとして、友達の間ではマルスは悪口だったりする。確か攻略本でもディスられていた気がする…
本作の内容について触れると、ストーリーは2部構成で話の展開が楽しめ、難易度は以前の作品が難しすぎたので難易度が落とされてはいるが、小学生が挫折するかどうかの絶妙な難易度だった。
ファイアーエムブレム外伝(シリーズ2作目)は難しすぎてクリアできませんでした
兄や友達から「どこで強い武器が手に入る」、「どのキャラクターが仲間になる」など攻略情報をやりとりして、1章1章手に汗握りながら攻略していた。
緊張感を生み出す要因としては、
主力のキャラの死
強力な武器の破損
キーアイテムの取り忘れ
これらは”詰み”を意味していたので、計画的にプレイし良い戦績でクリアしていくことが重要だった。
FEプレイヤーなら分かると思うが、命中率(HIT)90%で攻撃を外し、反撃をもらって死ぬことや、敵の会心率(CLT)1%で必殺をもらって死ぬというのはあるあるだった。
特に後者はありすぎて、闘技場(資金、経験値稼ぎの場)での何十、何百ターンの努力を一瞬にして台無しにする悲劇に何度泣いたことか
そのため「CLT1%あったら必殺をくらうと思え」という格言を冗談ではなく本気で言い、実際必殺を受けることを想定してプレイしていた。
今振り返って思うことだが、ファミコンやスーパーファミコンのソフトは裏技やバグが多く、それを利用して遊ぶことも醍醐味の一つだった。
紋章の謎では
恋人同士が近くにいると能力がアップする支援効果や、三姉妹キャラで敵を取り囲んだときに必殺技(トライアングルアタック)が出るなどのテクニック
マップに表示されない隠し店や地中に埋もれた財宝があるなどの子供心をくすぐる隠し要素
発掘アイテムの使用回数を無限にするバグ技
があった。
これらは、説明書にも作中にも触れられていないものが多く、知る人ぞ知るマル秘(死語?)知識だった。
当時は家庭にパソコンが普及しておらず、攻略サイトを見ることなどできなかったので、こうした知識は、攻略本を読むか、人づてに聞いて得るしかなかった。そのため、ゲームの裏技を知っていることはステータスであり、そういう者は「ゲーム博士」として鼻息を荒くして自慢できた。
インターネットの普及により彼らの地位が奪われるのはこのあとのことです。
さいごに
戦略シミュレーションゲームは
敵味方のステータスや装備を見て正確にダメージ計算をする力
将棋や囲碁などのように数手先を読む予測力
戦況から最も安全かつ少ないターンで攻略できる戦略を練る判断力
が必要になる。
それが、ある種とっつきにくさとなるが、だからこそ”自分の知力でクリアした”と明確に感じられる楽しさがある。
ファイアーエムブレムのシビアな設定のおかげで、計算ミスや敵の行動の予測ミスは致命的となる。そして、死なないようにばかり気を取られて慎重にプレイしすぎると、盗賊により村や宝が破壊・奪取されることや敵の増援により戦況が悪くなるステージもあるため、時には大胆さも必要となる。
防御力の高いキャラや装備を外したキャラをオトリにして敵をおびき寄せる
行動終了後の仲間の持ち物を交換することにより武器を持ち替える
などのテクニックは鉄板だ。
スーパーロボット大戦やアークザラッドなどとの違いは、FEは計算したとおりのダメージが当たるという点であり、自分の計算の正しさも間違いもありのままの結果として反映される。まぐれがないからこそ、戦況を完璧に読める気持ちよさがたまらない。
FEの経験から、「思考力を使うちょっと難しいゲームもできるようになった」という自信が付いた。
FEのプレイしている時期は計算が早くなった気がします!
それが、勉強に影響したかは分かりませんが(笑)
中学では、「ファイアーエムブレム 封印の剣」の発売とともに第2次FEブームが起きたのは当然のなりゆきである。
現在「ファイアーエムブレム 紋章の謎」はバーチャルコンソールでプレイ可能なので、懐ゲーに興味がおありの方は是非プレイしてみてはいかがだろうか。
本シリーズは現在もなお続編が出続けている。
自分の力でゲームをクリアできるようになってきたとき「ゼルダの伝説」のCMを見ながら、または兄のやり終えたゲームの山を見ながら、「次はあれを、これを」と夢が広がったのを覚えている。
”学年で流行し、みんなでやっていた”という現象はどこにでもあると思うが、こういうものは”自分たちのゲーム”として特に思い出深い。
皆さんにとってそういうゲームは何ですか?
本記事を読んで、懐かしい気持ちになった方、平成少年のゲームを初めて知ってもらえた方がいたら嬉しい。
【中学生時代】2002~2005年
[商品リンク:週刊ファミ通編集部『ゲームと平成』]