<引用元:http://www.capcom.co.jp/monsterhunter/world/ps4/>
モンスターハンター:ワールド(MHW)が発売されて約一年が経ちました!
松尾伸司『ビデオゲームの美学』を読んだので、さっそくそれを活かしてMHWのレビューをしたいと思います。
『ビデオゲームの美学』の用語を使いますが、分からないときは別記事を参照ください。
インタラクティブなフィクション性
「虚構世界への入り込み」が代表的な”インタラクティブなフィクション*“の観点からの評価です。
自己関与的かミミクリ的か
僕の感覚では、ほぼほぼ自己関与的*です。
その答えに重要になる要素が、モンハンシリーズの次の特徴です。
キャラクターメイキング
ストーリー
キャラクターメイキング
テンプレートのキャラというものが用意されておらず、みんなそれぞれのオリジナルなキャラを作成する必要があります。顔ひとつとってもだいぶ細かく作れますよね。
僕は、テンプレ大好き人間なので、キャラクターメイキングとか想像して作るのが苦手なんですが(笑)
そのため、プレイヤーはモンハンの世界に自分を投影したアバターを作り、自分の分身を動かして遊ぶことができます。
『じゃあ自分自身がゲームの中に入ったような感覚なの?』と言われたら、自分のキャラクターを自分と思うというより、あくまでオリジナルのキャラクターを使っているという感じです。
それでも、例えば友達とプレイしているとき、自分のキャラクターを「俺/私」、友達のキャラクターを「相手の愛称」で呼ぶと思いますが、その自分の分身度合いはまさに”アバター”が的確かなと思います。
アバターのおかげで、 ゲームプレイ中にキャラクターのアイデンティティーを考えなくていいため、虚構世界に自分を投影しやすくなっています。キャラクターにあるのはハンターという属性だけです。
<引用:CAPCON:モンスターハンター:ワールド>
というコンセプトなので、メーカー側の「どうやったらプレイヤーが虚構世界に入り込みやすくなるのか」を意図した工夫ですね。
いやなかなか本当に入り込みやすくて素晴らしいと思います。
ストーリー
次にストーリーについて、モンハンの特徴その2として、物語が単純明快であるという点が挙げられます。
<引用元:http://www.capcom.co.jp/monsterhunter/world/ps4/base/01.php>
MHWの設定としては、自分のキャラクターは「古龍渡り」の謎を解明するために新大陸へ派遣された調査団員である。というのがありますが、
正直モンハンのストーリーあまり気にしていません(笑)
僕のプレイの動機は、狩りをしたい!というのが一番であって、ストーリーを楽しむのは二の次です。
モンハンのいいところは副菜「ストーリー」がメインディッシュ「狩り」の邪魔にならない点ではないでしょうか。
危険なモンスターが出たから倒す、防衛する、プラス今回のMHWは調査(痕跡集め)が新たな要素として加わり、基本それらの目的に終始します。
目的が分かりやすくて、変に話を複雑にして悩ませないおかげで自然と狩りに集中できる。これもメーカー側の狩りを楽しませるための工夫だと考えているんですが、いかがですか。
自己関与的な部分
では具体的に自己関与的だと思う部分を紹介します。
まず、狩りにおいては先ほどのストーリーの単純性により自分の狩り欲求という動機が大きな部分を占め、アバターの効果で明らかに自分の分身の行為かつ責任であると認識します。(僕はしています。)
対して、ミミクリ的*にMHWの世界の調査団員A(自分とは異なる人格)だと想像して、「古龍渡り」の謎を解明する、また危機を阻止するという使命感を持ち、それを果たすのもそのキャラクターだと想像するという受容の仕方があると思いますが、なかなか難しい気がします。(それはそれで面白そうですね。)
例えば、「ネルギガンテを倒した」と言うとき、虚構世界の主人公が倒したと言うより、自分の分身が倒したと感じます。
もちろん、主人公には調査団のハンターという属性があるので、それに基づいた動機を考えることもあります。なので、完全に自己関与的ではなく、ミミクリ的な受容もあるでしょう。
例として、「ゾラ・マグダラオス誘導作戦*」について考えてみます。
*新大陸がゾラ・マグダラオスの死によって崩壊する危機を防ぐための作戦クエスト。
このクエスト中は団員たちのセリフが飛び交い、仲間の助けがあったり(実質助けてくれているのは大砲の玉詰めをしてくれている団員だけですが(笑))とチームミッション感が満載。
「排熱器官を破壊しろ!」➡「了解!」
「ネルギガンテを追い払え!」➡「おかのした!」
という具合に、団員の気分でプレイしました。
細かい事を言うと、自分の目的と主人公の目的が一致しているので、自己関与的な受容とミミクリ的な受容の区別が難しく、どちらも共存しているというのが正しいと思います。
まとめとして、MHWは自己関与的な受容を高い精度で実現しているという点において優れた作品だと思います。
シミュレーション性
ゲームの受容にはインタラクティブなフィクションのほかに”シミュレーション“としての受容があります。
MHWはどうでしょうか。
MHWがシミュレーションしていると考えられるテーマは「ハンティングアクション」というジャンルが示す通り”狩猟生活“だと思います。
思いつく要素を挙げます。
武器
集団戦闘
罠
フィールドギミック
採取
僕としては、狩りのはぎ取りや採取がシミュレーションとして感じられました。
ただ明らかにゲーム的な多種多様な武器、防具があったり、空腹で死ぬことはなかったり、何か生存戦略を立てるというような目的はなかったりとリアルな狩猟生活をシミュレートするというよりかは狩猟生活の一部を使ったハンティング風だと思います。
「今度サバイバルツアーに行くから、練習としてモンハンやるわ」なんて人はいないですよね。
あくまで基本は、ハンティング風アクションゲームプレイを楽しむためのインタラクティブなフィクションとしての受容を目的とされた作品じゃないでしょうか。
美的行為性
ゲームの楽しみ方のうち、「ビデオゲームの美学」で紹介された”美的行為*“の観点からレビューしたいと思います。
ただ、『美的行為って何?』と言われるとゲーム行為において経験された”感じ“らしく、明確な評価法が分からず著者の意図と合っているかどうか保証はありませんが頑張って表現してみます!
操作性
MHWの移動は過去作と比べて敵の未発見時にスタミナの消費がないためストレスがなく快適です。
特にスリングを使ったロープアクションは落下せずに次々に移動できると成功の連鎖していく感覚が爽快です。
モンスターとの闘いは、攻撃のヒット感はスムーズ。乗りのフィニッシュ攻撃なんかはモーションの演出がグッときますね。(今作乗りで転ばすとき誰も合図しないのはなんでか未だに疑問)
武器はランスを使っていて、今作の追加アクション「パワーガード」が特にお気に入りなんですが、ジャストタイミングでのパワーガードカウンターは敵の動きを上手く予測できている感じが快感です。通常のカウンターで防げない「咆哮」をタイミングを読んでパワーガードできたときは脳汁が出ます。
システム
今作のショートカット操作は狩りを快適にしてくれることと合わせて、戦闘中に活用することで操作技術による戦闘の質が左右されます。移動中や操作不可のタイミングで上手くさばくのがプレイヤースキルの試される面白いところなんですが、状況判断しながら素早く操作をするのはなかなか難しいです。
難易度
今作特に熱かったのが「極ベヒーモス」です。ランスを使うので、必然的にタンクをやることになるんですが、いかに素早く敵視をとれるか、コメットを壊されず戦いやすい位置に誘導できるかなど作戦と判断力が要求され頭フル回転でプレイすることになり他のクエストと段違いの難易度でした。エクリプスメテオなんて当たれば即死とか鬼。しかも「ジャンプ」のタイミングがシビアで泣けます。エクリプスメテオ時コメットがなかったときの絶望感(笑)
全体を通してみたときにアクション性は非常に爽快ですし、モンスターは歴戦王のレベルになるとなかなかやりごたえがあって緊張感を持ちながら、集中力をフルに発揮する楽しさが味わえました。
今後極ベヒーモスくらいの難易度のクエストがあってもドMプレイヤーにはご褒美かなと思ったり思わなかったり。…たまにくらいがちょうどいいです。
倫理的考察
モンハンシリーズで言われているのは、『モンスターを痛めつけて殺すなんて残酷じゃないか。』という問題です。
狩猟の倫理
もちろんモンスターが襲ってくるから倒すとか、MHWの世界で誰かのために必要とされているクエストだからという理由は出てくると思いますが、素材集めのために何回も下手をすれば何十回も狩るのはさすがにその理屈では無理があります。
まず、最も適当な答えは、「MHWの世界でモンスターを狩猟しても、現実に誰の命も奪っていない」だと思います。これはどのゲームにおいても共通の原則ですが、ゲームの世界で命を殺めることに精神的に許容できるのはあくまでゲームの世界の出来事だからです。
次に、人それぞれのゲームの受容のあり方があります。例えば、ミミクリ的に受容している人はモンスターを狩猟したいと思っているのは自分ではなくMHWの主人公であってその結果や責任は自分とは無関係だと考えます。また、もうMHWの世界観とか関係なしに画面上に表示されたハンターの姿の記号をコントローラで操作してモンスターの姿をした記号を攻撃して倒すというルールのゲーム(アルカノイドなどのゲームやスポーツ的な感覚)だと認識してプレイしている人には倫理的な問題は発生しません。
ここで困るのが、僕のように自己関与的に受容している人にとっては、自分がモンスターを狩猟したいと考えてプレイし、自分が狩猟したと思います。
なので、僕のこの問題の受け取り方は「虚構の武器を使って巨大モンスターと戦う行為がスポーツ的に楽しく、討伐したという勝利感と素材をはぎ取る感じがまるで本物の狩りをしているようで楽しいという動機でゲームをプレイする。モンスターの死に対して倫理的に疑問を持つこともあるが、現実には誰の命も奪っていないので問題ない。」となります。
さらに細かく言うと、MHWが狩猟をシミュレーションしているところは部分的にあるけれども、リアリティ具合でみると伝統的なビデオゲーム的のようにファンタジーなので、本当に動物を傷つけて仕留めるという狩りの残酷性はほとんど感じません。
といいつつも僕が個人的に悩ましいと思っているのがケルビを狩ることです。
ケルビ狩り
シカやインパラのような愛らしい風貌と基本無害な存在を狩るのは心が痛みます。
そういうわけで、MHWではほとんどケルビを狩ったことがありません。
ただし、ケルビからとれる「ケルビの角」がいにしえの秘薬の材料になるので素材は欲しいところ…
そこで、僕はオトモダチ探検隊を使っています。現実世界で自分で手を下さずに他人の仕事で動物の肉を手に入れるのとちょうど同じように責任を肩代わりしてもらう作戦です。
また、ケルビと同じようにガジャブーを狩るのも可哀そうという問題がありますが、ガジャブーを倒しても逃げていくのでそこは安心ですね。
今までのシリーズでもメラルーなどの猫風キャラを倒したときは地面に潜って逃げていきます。メーカー側もさすがに殺すのは可愛そうと配慮したんでしょう。
まとめ
倫理的問題にどれだけ影響されるかは、ひとりひとりの受容の仕方で違うと考えられそうです。自己関与的とかミミクリ的とか分類して説明しましたが、完全に1つの受容の仕方でゲームをしているわけではなく、人によって様々なバランスでプレイしているんじゃないでしょうか。
『じゃあ、倫理的に問題を感じないようにプレイの受容の仕方を変えれば良いの?』と言われたら、それは違うと思います。受容の仕方は個人の感性の問題なので簡単には変えられないということと、受容の仕方を変えてもゲームの問題自体はあり続けます。
僕のケルビ問題のように抵抗があることは無理にすることはないと思います。自分らしくゲームを楽しめば良いんじゃないでしょうか。
それにゲームの表現に敏感な人や感情移入しやすい人はそれを長所ととらえられます。そういう人はRPGなどのフィクションを楽しむジャンルでのゲームプレイに向いていると思います!
くどくどと話が長くなりましたが、これだけ熱くなったのはこれからゲームはどんどん進歩して表現がリアルになっていくだろうし、MHWなんか倫理問題の格好の標的にされると思うからです。動物愛護団体怖い…
今まで面倒くさくて目を背けてきましたが、モンハン好きとして自分の意見を持っておくためにちょっと深く考えてみました。
さいごに
その後、『Ice Borne』を購入しました。
『Ice Borne』の発売までまだしばらくあるので、今後レビューに書くことがでてきたら追記していきたいと思います。
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