ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA) -書評

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~ネタバレ注意~

ハーモニー

あまりに絶望的に描かれた調和

本作は、故人伊藤計劃氏の遺作である。本作の所々に見られる哲学、文学、テクノロジー、医療、社会学など圧倒的な知識と理解、それらに基づき精巧に描かれた世界は、科学技術の進歩した未来の世界への明瞭な洞察を与える。

まずは、本作の世界について説明する。世界が核による未曾有の大災害に見舞われた。放射線による病気が蔓延し、それに対処するため、「watch me」というナノマシンを開発した。watch meを体内に入れることで、あらゆる病気は治療され、健康状態を常に維持することができる。大災害から半世紀後、watch meにより平和は実現され、人々の健康を最も重んじる「生命主義社会」が出来上がった。

腸が煮えくり返る物語

本作を読みはじめたころ主人公(霧慧トァン)の友人であり、導き手、御冷ミァハに、激しい怒りを覚えた。

物語は主人公の高校時代から始まる。ミァハはこの世界を憎んでいた。生命主義社会というどこまでも親切でどこまでを他人を思いやる社会を、watch meに監視され病気や怪我を一切経験することのない世界を、そして「リソース意識」、「公共的身体」つまり自分の体は自分ひとりのものではなく社会みんなの財産であるという思想に嘔吐していた。

ミァハは卓越した知識と思考力で世界を呪い、一石を投じるために復讐を企てていた。

そこで、私が感じたのは彼女への怒りだった。優しさ、慈しみ、思いやり、利他の精神が浸透した世界はまさに多くの人の理想の世界ではないだろうか。

自分の居心地が悪いからと言う理由で世界を憎み、破壊思想を持つ彼女の一語一語が腹立たしくて仕方が無かった。確かに社会の型に合わない人間はいるだろう。しかし、先人が多くの人の幸せを願って築き上げたものを破壊して良いなどという道理はない。

それは、まるで映画やゲームの主人公が多くの仲間の犠牲にし自身の命を賭してやっとの思いで手に入れた平和を、後世で愚か者がその一切を台無しにするシーンを見ているような気持ちになった。

たしかに現代社会は万人の幸せを謳っているが、少数の幸せのために多数の幸せを奪うなどというのは戯言である。

私は著者の人格を疑っていた。

あまりに切ないラスト

愚か者と主人公と友人(零下堂キアン)の3人は栄養分を吸収できないようにする錠剤を飲み自殺を図るが、死んだのはミァハだけだった。時は流れ、トァンが大人になり、WHOの役人(螺旋監察官)となった13後事件は起こる。突如トァンの眼の前でキアンが自殺し、全世界で何千人という人々が同時に自殺を図るという奇怪な現象が起きた。さらに一週間以内に人を殺せ、できなければ自殺させるというニュースが世界を震撼させた。その事件の黒幕は死んだはずのミァハだった。

物語の最後にトァンとミァハが対峙する。ミァハは言う、この自分の思考も体も他人の手に委ねてしまった監視社会に苦しめられ、自殺する子供達が大勢いるのなら、人間は意識をもつことをやめるべきだ。ハーモニー・プログラムが実行されれば、意識という進化によって得られた単なるひとつの形質は失われ、苦悩のない幸福な世界に行けると。

ステップを踏みながら高らかに話すミァハに対し、この計画はミァハの郷愁の現れなのではないか、自殺するキアンに話しかけたのは自分の行為を正当化し、本当は友達を殺したくなかったことを誤魔化すためなのではないかとトァンが指摘するとミァハはうつむく。

そして、ミァハがトァンの銃弾に撃ち抜かれた後、トァンの父親とキアンを殺した罪を許してくれるか尋ね、最期は故郷の景色を眺めながら死んでいく。

世界の誰よりも意識のある世界を憎んでいたミァハも意識の産物である感情に依っていたことに最後になって気づく演出に切なさを感じずにはいられない。

また、トァンは高校時代ミァハに心酔し、共鳴者であることを誇るように生きてきたが、この事件をきっかけに子供の頃に感じていた父への拒絶感の原因が生命主義者のひとりの婦人への嫌悪感から来ていたことにに気付き、厄介者扱いしていた螺旋監察官の上司の思いやりに感謝し、チェチェンでは同じ思想の同僚に好意を懐き、社会不適応者にも居場所があることを知る。それはミァハの洗脳が解け、トァンの人格を取り戻した証のように感じられた。

しかし、トァンはハーモニー・プログラムを止めることはせず、意識の終わりを選択する。「さようなら わたし」

それは、この期に及んで残るミァハへの友情であり、大切な人を失ってしまったあとの絶望でもあるだろう。

哲学的問い

本作の意義は己の夢想する信条に一撃を喰らわせてくれるということだ。私を含め人々が善であると疑わない優しさ、慈しみ、思いやり、利他の精神をもし合理的に達成しようとすれば必ず直面するであろう問題、矛盾、絶望に気づかせてくれる。

人間は体の管理を外注し、食べるものも、家も何から何まで精神衛生と健康に配慮しコーディネートされ、自分の体は社会のものであり決して粗末に扱うことは許されない社会。心や体が健康であることを24時間監視し、そうでない恐れがある場合は”慈愛に満ち溢れた”セラピーを行う。自らの安全性を証明するために個人情報を常に公に晒し続ける必要がある息苦しさ。ただただフラットで長生きするだけの平穏な人生の恐ろしさ。

本作が2008年に書かれたという点にまず驚嘆すべきであるが、AIの進歩が世間を賑わせている現在、今後テクノロジーの進歩により様々なデバイスが人間の安全を守り、生活をサポートするようになれば本作で描かれた生命主義社会のような世界が実現しても何らおかしくはない。

そうなったときに、究極の幸福を目指し調和のとれた平和な世界を実現するためには人間の意識が不幸の源であると気づいてしまったらどうするのだろうか。

意識とは双曲割引に基づく不合理な選択を行わせるため、意識がなくなれば合理的な判断に従って生きられるとすれば、意識など必要ないのではないか。

もちろん、本書の物語はフィクションであり意識、正確には価値判断の迷いがなくなったら人間がどうなるかは分からない。

本書では、意識の消滅を死ととらえるか否かの疑問を投げかけている。シェリー・ケーガン『「死」とは何か』に基づく私個人の意見としては人間は”私の人格”がある場合に生きていると考えているので、意識がなくなることは死に等しいと思う。

この点に関して著者の見解と思われるのが、ハーモニー・プログラムの実行にたった一人で抵抗した者、トァンの父親ヌァザの存在である。著者は意識こそ人間を形作るかけがえのないものであると考え未来の世界が間違った方向に進まないようにする一筋の光としてヌァザを描いているのではないだろうか。

そして読者に、

ハーモニーの世界では終焉を防ぐことができなかった。

生命の尊重と人間の意識である感情は対立するが、それでも意識を大切にできるか。という問いを投げかけているのだと思う。

著者について

以下の情報は主にwikipedia情報であることをご了承ください。

伊藤計劃氏は「メタルギアシリーズ」を制作した小島秀夫氏の熱狂的なファンであり、ファンとしての接触から直接交流をするに至るほどだったと言う。

また、「機動警察パトレイバー」や「攻殻機動隊」を手がけた巨匠押井守監督のファンであり、著者のブログにおいて「攻殻機動隊」を批評していた記録が残っている。

私も両作ともにほぼ全てを観たし、「スカイ・クロラ」、「BLOOD THE LAST VAMPIRE」などの映画作品もクリエイターインタビューまで拝ませて頂いた。

ハーモニーでは押井監督作品のラストシーンにおける「虚しさ」という独特の美学が反映されているように思える。

今回、著者からたどり着いた三名の素晴らしい作家の表面情報ではあるが、いずれもゲームを愛し、また映画を嗜んでいるという共通点を見つけた。

私はただの一般人だが、ゲームやアニメーション映画のファンであり、このような素晴らしい作品を書きながらゲームファンでもあった著者に憧れを抱かずにはいられない。

当サイトの読者の方へ~アウトプット術~

先日「ゲームのアウトプット術」という記事の中で、自己成長するにはゲームの感想を書けば良いと書かせていただきましたが、人に言う前にお前がやれよと言われそうなので、こんなふうにアイディア出しをすれば良いかもという方法を紹介させて頂きます。あくまで一例なので、自分の書きやすいように書いて下さい。

「ゲームじゃないじゃん!」

と思った方お許しください。さしあたりゲームのレビューを書く予定が無かったので、今回は読書のレビューとさせて頂きました。

レビュー;アイディア出し
<参考書籍:樺沢紫苑「アウトプット大全」>

  1. A4の紙の中心に作品のタイトルを書き
  2. あとは自由に感じたこと、気づいたこと、グッときたところ等々好きなことを思う存分書いて下さい。

全アウトプット

場所ごとに書いた内容

この例では、4つの領域に分けて書きましたが、レビューを書きたい作品によって、内容や書き方はご自由に!

形式としては

箇条書き
ポイントごとにまとめる
マインドマップ

どれでも良いと思います。

また、「A4じゃ書ききれない!」という方はノートの見開き2ページに書くと良いでしょう。

好きな作品、感動した作品のレビューを思う存分書いた!という実感は気持ちが良いものです。

ゲームでもアニメでも漫画でも映画でも本でもなんでもOKです。

最後に、ハーモニーは名作です!(ディストピア小説のため人を選ぶかもしれませんが。)未読の方は是非読んでみて下さい。


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